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普段から使っている橋なので、長らく特に気にも留めなかったのですが、橋の袂に碑があり、
読んでみると実に興味深い事が書かれていました。

大阪市ホームページ引用


古くは思案橋と呼ばれていたそ。
大阪城の大手門に通じる大手通にあたるが、なぜか橋の西側で行き止りになっている。
橋を渡って左右どちらに行くか迷うために思案橋と呼ばれるようになったとされる。

また、豊臣秀吉が五奉行の一人、増田長盛に橋の名前を付けるよう命じたが、
思案してもなかなか決められなかったため思案橋といわれるようになったともいう。
ただ豊臣時代からこの橋があったとする確証はない。

大手通という町名が付いたのは明治以降のことで、
大手橋と名付けられたのは大正時代になってからである。

大手橋が近代橋になったのは大正15年、第一次都市計画事業によってである。
三径間のコンクリートアーチが採用されている。

東横堀川の橋はアーチが多く、鋼とコンクリート製がほぼ交互に並んでいる。
デザインもそれぞれ違っていて、独自の景観を作り出している。
偶然こうなったのではなく、設計担当者の意図が働いていたはずである。

建設後60年以上経ち、床版や橋面の損傷が著しくなっていたため、
平成元年度に改修工事を行い、これに合わせて顕彰碑を設置した。

こちらがその碑文です。 
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大手橋から大阪城を臨む大手通。
この道をまっすぐいくと10分ほどで大阪城公園があります。

この橋が当時なかったかもしれないとは言え、
豊臣政権時代、ここから眺める大坂城はどんなに荘厳だったのでしょう?
思いを馳せるだけでワクワクします。

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Wikipediaによると、大坂城の正面虎口である追手口(大手口)に通じるため、
防衛上の観点から見通しを悪くしているものと考えられていて、
追手口に至るまでに現在の府庁南交差点(上町筋)で再度南へ屈折している。

名称についても同じく大手などと安易に付けられなかったものと考えられ、
大手通や大手前之町(現・大手前)の町名が付いたのは明治以降、
大手橋の名称が付いたのは大正以降である。

今年の大河ドラマのクライマックスの舞台になる大坂城、
大阪観光の際、ぜひ足を伸ばされてみては?

【大手橋】
橋長:49.55m
幅員:10.0m
形式:アーチ橋
完成:大正15年
行政区:中央区
河川名:東横堀川
アクセス:地下鉄堺筋線 北浜駅 4番出口 
または 堺筋本町駅 12番出口
およそ600m 徒歩10分
大阪市営バス「内平野町」

 

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